2013年06月03日

おばあちゃんとの日々

おばあちゃんとの日々
昨日はおばあちゃんの1周忌の法要でした。
おじいちゃんの50回忌も一緒に。

おばあちゃんは、母がまだ高校生だった時におじいちゃんがなくなり
子ども3人を抱えて、京都のど真ん中で男に負けじと商売を続けた生粋の京女。

いつもかっこよく着物をしゃんと着て、おしゃれで、気風がよく
私が子どもだったころはすっかり引退してお茶のみ友達といつもおしゃべりしていて
夜はお番茶のやかんにとっくりをつっこんで毎晩晩酌し
お茶の缶をまくらに寝ちゃってたおばあちゃん。

なつかしいなつかしい思い出話がいっぱいでした。

おばあちゃんとの思い出は、いつも
無条件で愛されていた子どもの頃を思い出させる。
あの頃は意識したことがなかったけれど、本当に愛されていたんだなぁ。

マルコが毎日の生活でいちばん大切にしたいと思っているのは、バランス。
そのバランスが保てる基礎の基礎は、幼いころのあの日々がつくってくれているのだと思います。

あらためて、家族に感謝したくなったあたたかい1日でした。





Posted by マルコ at 19:35│Comments(2)
この記事へのコメント
何か一つ終わると、故人のある日、ある時を
思い出す。法要って、節目何でしょうね。

僕も、我が母のことは忘れない。
認知が進み、支離滅裂な会話に、女学校の通りの
正確な記憶を。

兄弟姉妹、全員が「ボケた」で済ませた会話を
検証した。母の発言はボケてず、正確だった。
Posted by 風呂本 寛 at 2013年06月03日 20:37
確かに、法要は節目ですよね。
普段の日々の中でゆっくり思い出したりはしなくても
時に故人をよく知る人で集まり、語らうことができるのは
本当にありがたい習慣だと思います。

お母さま、きっとすてきな方だったのでしょうね。
風呂本さんだけがお母さまの本当のことばに耳を傾けていた
それはきっとお母様にも伝わっていたことと思います。

「ボケた」で済ませれば簡単だけど
きっとその言葉の奥には、その人なりのことばや記憶があるのですね。
Posted by マルコマルコ at 2013年06月04日 07:04
 
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